MONSTER 14巻『大人になったら面白いマンガ』

 

Monster (14) (ビッグコミックス)

Monster (14) (ビッグコミックス)

 

 

『めのおおきなひと くちのおおきなひと』より

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  『なまえのないかいぶつ』を書いたフランツ・ボナパルタの違う作品、『めの大きな人、くちの大きなひと』である。『めのおおきなひと』とは考えるタイプで、『くちのおおきなひと』とはあまり考えず思うままに生きるタイプ、といえるかもしれない。目は観察力が優れていること、口は欲望のままに生きることを表しているのだろう。つまりそれは誰にでもある2大特徴である。何かをやろうとした時に、人は、さあ!やろう!という人とこれでいいかな、大丈夫かな・・と迷って足踏みする人に別れるだろう。というか、その2つの特徴をないまぜにしながら進むのがほとんどだろう。

 

 さて、このめのおおきなひととくちのおおきなひとは、最後にはどっちも自分の生き方を後悔するのである。めのおおきなひとは悪魔と取引すればもっといい思いができたのに、と思うのに対し、くちのおおきなひとは、悪魔と取引しなければこんな痛い目にあわずにすんだのに、と思う。

 

 90代の人にインタビューすると「もっと冒険しておけば良かった」という答えが返ってくるそうだ。彼らは『めのおおきなひと』たちなのだ。だからこそ90代まで生きてこられたのだろう。命知らずの冒険野郎はたいていすぐに病院行きになるものだ。

彼らは『くちのおおきなひと』たちなのである。もっと慎重に生きていれば、というわけだ。

 

 この話の優れた点は、どちらもまちがっている、と感じさせる事だ。 多くの物語では、『だからもっと冒険を!』とか『もっと深く考えて!』という教訓を与える事で正解を示した格好になりがちだが、この話を読むと、正解というものも成長というものもなく、人はただ、行き詰まったら逆方向に行くだけだ、ということを示している。そしてそれを人生の正解だと錯覚している、と著しているように見える。

 

    『へいわのかみさま』より

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    これもまたちがう童話『へいわのかみさま』である。世界を平和にするためにがんばっていたのに他ならぬ自分が平和をこわす元凶だった・・・という話である。鏡は物語でよく出てくるが、本人でありながら正反対の姿を映す、などという表現によく使われていることが多い。この話のはじまりは『へいわのかみさまはおおいそがし。かがみをみるひまもなくらっぱをふき・・・』という件から始まる。『かがみをみるひまもなく・・・』というのは恐らく、自分のやっていることをよく確かめず・・ということのように思える。

 

  そもそもかがみのまえにくるときにかみさまはうれしそうにやってくる。それはむしろ自分の姿を見たいと思っているようだ。それは当然である。人は自分のステキな姿を見ようと思う時に鏡を見るものだ。かみさまも自分が作った世界から認められて自分のやったことがどれだけ素晴らしかったかを確かめたかったのだろう。しかしそこに映ったものは悪魔だった・・・。

 

『へいわのかみさまのらっぱは、みんなをしあわせにします』とあるように 、幸せが新しく生み出されればそのために生み出される不幸があるのである。だからかみさまは同時にあくまでもあるのだ。

 

  栄華を極めた人間でも死ぬ時に見る風景は・・・

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  この話には『名前』というのもよくテーマの一つとして出てくる。名前はその人が何者なのかを表す一番よく使われるものだろう。名前を呼ばれることで自分をその名前と同一視するのである。そして自分を呼ぶ友人、親兄弟、恋人と愛情を中心にして住む世界が広がっていくのである。ヴォルフ将軍の言うとおり名前は自分の生きた証であり、それを奪うことは生きた証を奪うことなのである。だからこそ名前を奪うことは『もっとも罪なこと』であり、そのような事をしたために、『名前のない』『だれでもない人間』ができるのである。