MONSTER 18巻『大人になったら面白いマンガ』

 

Monster (18) (ビッグコミックス)

Monster (18) (ビッグコミックス)

 

 ついに完結である。この巻、いつものよりも分厚く、何といっても最後なのでたくさん紹介しておこうと思う。 

 

   グリマーさん対フランツ・ボナパルタ 

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   人間としての幸福や尊厳を奪われる人生を送って来た怒りをぶつけるグリマーさん。食事をうまいと思う、休日のピクニックを楽しみにする、仕事の後のビールをうまいと思う・・・人ならば当たり前の事と思うがそれは決して当たり前ではない。食事のおいしささえわからない、それはどれだけ孤独な人生なのだろうか。もはや孤独という言葉が適当とは思えないほどだ。喜怒哀楽どころか、感覚の動きすらもわからない・・・それこそが人間にとって最も起きてはいけない事だと、グリマーさんは言う。 

    私的名シーン

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  終始、無表情にしか見えないルンゲ警部だが、明らかに本人の中で何かが変化したであろうことがわかる。休暇中のビールよりも仕事中のコーヒーだった彼が、仕事が終わったらいっしょにうまいビールをくみかわそう、というのは今までの彼では考えられれない。仕事上がりに同僚と乾杯するルンゲ警部など想像もつかないが・・・。ところで最後のこのコマよ~く見るとルンゲ警部がかすかに微笑んでいるように見えるのは・・・気のせいだろうか・・・?

 

  休暇中なのに・・・

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     ついに自分の間違いを認めるルンゲ。

  しかし彼はまだヨハンに出会ってはいないのだ。そしてちょっと前のシーンでも、自分の推理に間違いがあったということを決して認めてはいない。にもかかわらず彼は銃をとって、ヨハンを探しにいき、その先でテンマに出会い、謝罪する。 自分の考えとは矛盾する行動をとるというのは・・・これこそ今までのルンゲではなくなっていると言えるのではないだろうか・・・。

 

   犯人を説得するグリマーさん

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   以前にも、同じようなシーンを紹介したことがあった。

この話は、おおむね、生きる意味は親から与えられる、という話が多い。名前も親から与えられるのが普通だし、人は人生の大半を家族と過ごす。家庭が自分の生きる世界なのだ。しかし、そのようなものを持たず、家族どころか極めて危険な環境で育ったグリマーさんは、『自分を信じる』ことで生き延びてこられたのだろうか・・・。

 

  そのように考えれば生きる道は常にあるといえるが、しかし『自分を信じる』という道を選ぶのはやはり危うい環境にいる人達、と言えるかもしれない。そもそも自分の人生に満足していればそんな発想はしないのではないだろうか。以前のスーク刑事のように、周り中の何もかもが信じられない、という時だからこそ『最後に信じられるのは自分だけだ!』と思うようになり、『誰の命令でもなく自分の心で・・・』考えることが大事になってくるのである。

 

   今回の名シーン

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    ついに幸せの意味を知るグリマーさん。

『自分の子供が死んだのが・・・今・・・悲しい』と言う。彼は、自分の子供が死んでも悲しいのかどうかよくわからなかった、と言っていたのだ。感情が動かなければ目の前でどんなことが起きても、何も起きていないことと同じなのだ。グリマーさんはどこかに迷い込んだ感情をついに手に入れ、『悲しい』のに『幸せ』という。グリマーさんにとっては悲しいと感じる事がただ悲しいのではなく、それが幸せをも表してもいる。愛しているから、怒りも喜びも悲しみもする。悲しい時には涙を流す。それが人間の幸せなのだ。

 

   テンマ対ヨハン

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  これも今までと同じテーマである。生きていれば誰もが不公平なのだ。自分の命が何よりも大事、自分の愛するものが何よりも大事。公平だったり、平等だったりするものは、生きていない人間であり、感情も愛も知らない人間であり、死なのである。テンマは『命は平等』と信じたからこそヨハンを助けた。しかし、助けたその手で殺そうとする。それはヨハンは生きていてはいけない、と思っているからだ。それは全然公平じゃない、とヨハンは言っているのである。

 

ニナの出した答えとは・・・

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  ニナは作中で、すでに2回はヨハンを撃っている。ニナもまた、テンマと同じで彼女もまた、ヨハンは生きていてはいけない、と思っているからだ。しかし記憶喪失だったニナは記憶を取り戻し、ヨハンがなぜ、今のような人間になってしまったかを知る。そして『許す』という答えを出すのである。ニナが思い出した事とは・・・。

 

   これが最高の名シーン・・・のはずだったが・・・

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ヨハンを助けるテンマ

  このシーンこそが、全体のクライマックスであり、どのシーンよりも感動的になるはずだった・・・。このために今までの話はあった、とすらいえるのだが・・・しかし・・・そう感じる読者はあまりいないのではないだろうか・・?最初、このシーンを読んだとき不自然な違和感を 感じたものだ。やはり『今まで・・・ずっと殺しに追いかけてきたのに・・・助けるの・・・?』という感じがどうしても出てきてしまう。テンマは充分いい人なので決しておかしくない展開なのだが、もう少しテンマの心理描写とかで読者を納得させるような要素が足りない気がする。助けることにこそ意味がある、と感じさせることに成功していないような気がするのだ。

 

  このシーンこそが最も訴えかけてくるものでなければならず、読者を一番納得させるもののはずなのだが・・・『ヨハンの行動は矛盾している』だの『物語が本来の方向からずれている』といった読者の声が多かったのだが・・・そういった声をむしろ増やしてしまったようだ。

 

  『君たちは全く読み方が足らん!!』と作者でもないのにイライラとしていたのだが、この話は確かにわかりやすくは全然ない。読者に一切の解釈がゆだねられていて何の解説もない。そうはいっても筋書きだけでも充分楽しめるように出来ており、しかも筋書き自体もテーマから浮いておらず、しっかりと関係しており、一見関係のない小話でもそうなっていて、その話はその話で、完成度の高いものになっている。

 

  決して矛盾などしていないし、筋書きから、人間ドラマ、テーマの奥深さのすべてにおいて完璧といえるほどの出来の素晴らしい話である。

 

  ここでヨハンを助けることにこそ意味があるのである。それがこの話の答えになっているのだから。そして1巻からの長い長い伏線の答えでもある。それは『命は平等』という信念を最後まで貫くテンマの行動なのだ。どんな人間であろうとも、何の共感もできない人間であろうとも、怪物にしか見えない人間であろうとも、同じ人間なのだ。今までの名シーンと同じ主張だが、このシーンはこの上ないほどその主張を強く打ちだしている。

 

   その後のエヴァ

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    そんなんでもコーディネーターってできるのか・・・・?

 

  まるで別人のようにすがすがしい表情のエヴァ様。彼女が今までとは全くちがった道を歩き始めたのは確かだろう。『今までろくに立ったこともないキッチン』を中心に生活を始める。昔の貴族の奥様が、働かず台所仕事を召使いに任せていることを示すために白い手袋をすることがステータスだったことを思えば、働き始め、台所を中心に活躍し酒もやめていることを思えば、今までのエヴァとはまさに正反対といえる。

 

  彼女は、テンマの事件記事を集めていたがそれを全てライヒワインに渡し、テンマに『よろしく伝えておいて』と言って去っていく・・・。

 

    その後のルンゲ警部

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  見ての通り、ルンゲもまた生き方を一変させる。もはや刑事としての人生そのものをやめるのである。そして刑事であったがために失った家族と連絡を取り始める・・・。彼は、エヴァとは違って、今までの自分と深く関係のある仕事に就く。それは彼の刑事としての人生に『自分の心で考える』ことも多く含まれていたと言えるのではないだろうか。

エヴァは令嬢としての自分に執着してはいたが、それは院長の娘という生まれながらのものであり、自分自身の紆余曲折しながらのたどり着いたものではない。

 

   悲劇の真相

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  これがヨハンを今の人間たらしめた理由である。最後に双子の母親が登場し

「本当の怪物は・・・・・誰・・・?」と言う。母親は迫り来るボナパルタに『片方を連れて行く』と言われ、思わず片方を差し出してしまうのである。これは以前に出て来たミローシュ少年の悲劇と同じであり、母親に捨てられた、ということが子供にとって最大の悲劇という事を意味している。しかし母親は『二度と思い出せないかもしれない・・・今・・・言わなきゃ・・・あの子達に名前をつけていたの・・・あの子達の名前はね・・・』と言うのだが・・・しかしその思いはもはやヨハンには届かない・・・。